文旦をはじめとする高知の特産品を使ったお菓子で人気のパティスリー「マンジェ・ササ」。
オーナーシェフの笹垣朋幸さんも、一時はメディアにもてはやされ、東京に進出するほど事業は順調だった。
しかし今、笹垣さんは改めて高知で地に足をつけたお菓子作りに挑んでいる。
その方向転換の裏には笹垣さんの挫折と苦悩の日々があった。
文旦がたっぷりのった「文旦のタルト」といえば、マンジェ・ササを代表するお菓子。この生みの親・笹垣朋幸さんは、いわずと知れたパティスリー「マンジェ・ササ」のオーナーシェフだ。
「自分らしいお菓子を作りたかった」と文旦のタルトを発案した当時のことを振り返る。このお菓子が生まれたのは1998年、笹垣さんが第一号店「季節のケーキ フリュイティエ ササ」を薊野にオープンさせた頃だ。当時高知の洋菓子店では、イチゴのショートケーキ、モンブランなどの定番が主な売れ筋商品。笹垣さんが生み出す高知の季節の素材をふんだんに取り入れたお菓子は、ある意味衝撃的だった。そんな笹垣さんのお菓子は評判が評判を呼び、翌年には六泉寺に二号店を出店することになる。
その成功には、専門学校卒業後、ホテルで料理の基礎を学びながら、空いた時間には市場へ足を運び、野菜や果物の確かな目利きを磨いた裏付けがあった。そんな修業時代のある日、見よう見まねで作ってみた誕生日ケーキを友人にプレゼントした。「その友だちが泣いて喜んでくれた姿が忘れられなかった」。そこから笹垣さんはお菓子が持つ力に魅了され、その道へと歩むようになった。
2002年には、マンジェ・ササ高埇店(現たかそね本店)をオープンさせると、2004年レストランボナペティー、2010年秦南店と相次いでオープン。その後、スイスダボス会議の料理人など華々しく活躍の場を広げていく。そしてその頃、山形のイタリアンレストラン「アル・ケッチャーノ」のオーナーシェフ・奥田政行氏との出会いがあった。その縁から東京での大きな仕事を任せられるようになった笹垣さんは、その勢いで2013年東京自由が丘に「マンジェ・ササ東京店」をオープンする。
まさに快進撃を続けていた笹垣さん。東京店でも土佐の素材を使ったお菓子を提案し、一定のファンも獲得した。しかしある時、一人のお客様がこう言い放った。「こんなお菓子なら高知の物産展で出せば良い」。その刹那、笹垣さんは気付いた。「周りのことを考えず、自分のことだけを考えてお菓子作りをしていた」。そこからもう一度自分を見つめ直すと、当時しばらく足を向けていなかった高知のお店では、経営は順調なものの、スタッフは育っていなかった。
「これではだめだ」。そう考えた笹垣さんは、ほどなく東京店を閉鎖。東京での仕事から手を引き、2014年高知に帰ってくることを決意した。「お客様は私が作るお菓子を求めているはず」。そこから笹垣さんは原点に立ち帰り、厨房でのお菓子作りに専念することになった。
お客様がどんなシーンで、誰とお菓子を食べるのかをイメージすることで「お菓子で感動を与えられるはず」と語る笹垣さん。そのためにスタッフにもお客様とのコミュニケーションの大切さを説く。新たな決意で仕事に取り組む笹垣さんのもと、スタッフも意識が変わりつつあるようだ。
次はどんなお菓子で私たちを楽しませてくれるのか、シフトチェンジした笹垣さんの新たな提案に期待が高まるばかりだ。
有限会社 マンジェ・ササ
●設立/2000年10月 ●従業員数/25名(男性4名、女性21名)
主な事業は高知の素材を使ったスイーツの製造、販売、カフェ経営。
現在高知市内に3店舗を展開し、誕生日などの記念日用にプリントや
デコレーションを加えたオリジナルケーキも人気。
秦南町の「salon de thé M’s chocolat&fromage」は高
知発のチョコレート&チーズケーキ専門店として注目を浴びている。
「今まで高知になかったお店」をコンセプトに、飲食店の経営及び企画、運営を手がける。